箕面粟生第二住宅管理組合の歴史
2020年(令和2年)11月吉日
37棟102号
南 正一
今から45年前(1975年)春に北摂山麓、箕面市の東部粟生間谷の地に大規模団地が誕生しました。日本住宅公団が建設した箕面粟生団地です。その規模は全体で2千数百戸、先ず第1期工事として第1、第2、第3団地が竣工し、第2団地が粟生第2住宅となり入居が始まりました。その戸数1180戸、関西では勿論、全国でも珍しい単一の大団地です。その後、粟生団地は第7団地まで、順次、建設が続き有数の大規模団地となりました。当時は高度経済成長を経て、持ち家志向、マイカーブーム等、生活環境も大きく変わり、1970年には千里丘陵で大阪万博もあり、大阪近郊の開発の波はさらに加速し、一挙に拡がりました。粟生団地もその一環であったように思います。
こうして粟生団地の歴史は始まりますが、第2住宅は分譲団地ですからその管理を行うための団体として、法律(区分所有法)の規定に基づき管理組合が当然に構成されることになります。管理組合には、共有物の維持管理をはじめ、住環境整備等、多岐にわたる業務があり、その執行にあたるのは総会で選ばれた理事会です。しかし、理事長をはじめ全員がはじめて経験する業務ですから、当初は、管理会社(団地サービス)に業務の大半を委託しながらのスタートとなりました。
爾来、歳月を重ね、時代も移り変わり、区分所有者、居住者の高齢化、少子化は当住宅でも顕著にあらわれていますが、団地周辺をふくめ内外とも環境も大きく変わりました。
今日までを振り返ってみますと、歴代の理事長をはじめ、役員の方々には大変な負担になったと思いますが、一貫して「自主管理」を標榜し、理事会を中心に、各種対策委員会等諮問機関の協力を得ながら運営してきたことは評価されるのではないでしょうか。
一方、管理組合の最重要課題ともいえる共有財産の維持管理については、早い時期からコンサルタントの協力を得ながら、「長期修繕計画」を策定し、それに基づき3次にわたる建物の大規模修繕をはじめ、水道、電気、ガス等のライフラインや排水設備、テレビの共聴設備、駐車場の増設等々数々の改良,改修工事を適宜施行し、居住環境の整備に取り組んできました。
将来にわたって残された課題は数多くあり、それらにどう対応していくのか、「終の棲家」としての高齢者の願いに応え、子供たちの健やかな成長に資するため、恵まれた自然環境とともに文字どおりみんなの憩いの場所にしたいものです。そのためにも住民相互の知恵を集め、力を合わせてこそ、明るく住みよい団地にすることができるのではないでしょうか。
[風 景]
令和1年4月〜11月